NOVEL  >>  W:CROSS  >>  8章:それでも、わたしは
【8章:2話】
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 【黒の傷跡】。
 アーミス国頭部にあったそれは5000年前の神々の戦によって抉られた大地の傷跡とも呼ばれている。巨大な亀裂は闇が生まれ出ているのではないかと思うほど黒く、空を飛ばねば越えられぬほどに広い。
 人里からは遠く離れた場所にあり、地形も人が住むには難しい。天然の魔水晶が見受けられるようなエネルギー濃度も無く、モンスターが徘徊するため、危険区域として遠ざけられていた。

 旅を続けながら、リシェイはヤクモに問うた。

「天然の魔水晶が無いような場所なんですよね?それなのに行く意味はあるんですか?目当てが無いなら、単に危険な場所に足を運ぶだけの結果になってしまうんじゃ…」
「それは一般的な噂だからね。もっと詳細に裏を取っていけば、有益な情報は出てくる。そうして人から人へ聞いただけの言い伝えだからこそ、本当に危険な確証もない。僕らのような人間は却って惹かれるね」
 調べつくした場所よりも未開の場所。彼のいう事は尤もだろう。それに深い谷底に何があるかは解明されていないのだから、それこそ探知できなかった魔水晶が群生している可能性もある。

 ヤクモが合流してから数日。彼は旅慣れているのか、行程も順調だった。
 陽が沈みかけると、今夜の宿を取れそうな場所を確保する。ヤクモの案内で林を抜け、山形な道を只管突き進むと滝のある水場まで出ることが出来た。ここまでくると、目的地もさほど遠くないと言う。

 果たして【黒の傷跡】には得るものがあるのだろうか、と考え込むリシェイを尻目に、焚火用の薪を拾い集めるシュラをヤクモはジッと見つめていた。

「…何か?」
 流石に嫌でも気付く視線に、シュラは溜息を吐くように振り返った。
 道連れの仲間と言えども、ヤクモを皆と同じように仲間とは思えなかった。それにブルーティア村から帰還してから体調がイマイチ優れない。イドリの反動もあったのだろうが、今はそれとは違う体の重さを感じる。最初は何も意識していなかったけれど、時期を考えると、明らかにこの男が同行し始めてからだ。

 口には出さなかったが、マリアが妙にこの男に対して畏怖にも似た感情を抱いているように見える。マリアは初見だと言っているが、彼女は何かを感じているのかもしれない。
 クラッドもそうだ。彼は当初ヤクモに好意的ではあったが、近頃は何かを警戒している節がある。
 皆があの男に何か疑念を抱いているのだ。
 リシェイはというと気付いていない。勿論彼女が人を無闇に疑う性質ではない事もあるだろうが、ここまで皆が異変を感じる中、感覚の鋭い筈のリシェイが何一つ疑念を抱かないのが不思議だった。


「契約、苦しいんじゃない?」

 ヤクモの一言にシュラの顔つきが変わった。
 契約の事は仲間内しか知らないはずだし、彼らの性格を考えると、たとえ他者が仲間に加わったとしても、勝手に個人的な事情を喋ったりしないだろう。
「…お前…」
「騒ぎは起こさない方が良いよ。折角協力してあげてるんだからねぇ」
「どういう事だ…。お前は一体」
「詮索も禁止。僕のことを知りたいなら、キミのことも洗い浚い吐いてもらうよ?それに僕が居なくなったら、キミ達は目的地に辿り着いても、目的には辿り着けない。僕はばらされても構いはしないんだよ?手段が変わるだけだから。でも君たちにとって有利な手段に出ることはないだろうねぇ」
 左右で色の違う緑と薄紅の瞳が細められる。

 コイツは『あちら』の人間だという事は直ぐに理解した。
 海底洞窟にヤクモが現れた時、シュラはイドリ出現の反動で気を失っていた。故にいつもなら感覚の鋭いシュラでも相手の詳細に気付くことは出来なかった。だが、目の前の相手が危険な存在という事は理解できる。そして彼がミーナ以上の存在だという事も。
「何が狙いだ。俺達を招き入れて、お前達に何の得がある?」
「楽しいから、だよ。僕にはそれで充分だ。退屈はしたくない」
 ヤクモはクックッと喉を鳴らして笑う。先ほどの柔和な雰囲気はそこにはなかった。ただ災厄を招く闇のような、底知れぬ雰囲気にシュラは背筋にぞくりとしたものが走る。

 罠なのだろうか。しかし罠ならば、ここで正体を晒すことに意味があるとは思えない。何も知らない自分達を誘い込んで一網打尽にすれば良い話なのだから。
(嘘じゃない、か)
 ただ、愉しいから。場が盛り上がれば退屈しないから。
 この男はそれだけで動いていると思えた。自身の中に宿るもう一つの魂と同じ、他人の苦痛を餌に快楽を得る類のものだ。

 ヤクモは人差し指を口元に当てて笑う。
「キミはきっと皆には言わない。誘いにあえて乗るのが一番だって分かってるでしょ?」
 マリアはまだ不穏に感じている程度。正体を知れば明らかに怯え、突き放す事になるだろう。クラッドは即座にヤクモを倒しにかかるだろう。

 そしてリシェイは―――
「リシェイは、どうなんだろうね」

 シュラの思考を読んだようにヤクモは冷笑を浮かべた。彼の薄紅色の瞳に小さな光がうごめくように見えた。「残りの行程も少なくなってきてるんだから、行動は良く考えるといい」と言い残してヤクモは去っていく。

 あの男は一石投じるとどう動くかを眺めるのが愉しい享楽者だ。
 少なくとも目的地に着くまで皆に危害を加える気はないのだろう。それでは楽しみが半減してしまう。相手を信じさせて絶望に叩き落すのは、既にミーナが取った手段だから、それでは彼は愉しくないのだろう。
 ギリギリの不安の中で、信じるしかない恐怖。そしてその目が自分に向く事が楽しいのだろう。どこまでも悪趣味だ。

「…リシェイ」
 シュラは集めていた薪を一まとめにして踵を返す。
 リシェイの名を口にした時のあの男の目は狂気の色を見せた。ただ苦しめる事が面白いという目つきではなかった。
 そもそもリシェイを除く全員に不信を植え付けているのに、リシェイが全く気付いていないのは妙だ。確かにリシェイは人をすぐ信じるし、単純だと思うこともある。しかし己の身を護れぬほど無知で鈍感ではない。むしろ仲間に危害を加える要素があるならば、少なからず何かを感じ取る筈だ。

 嫌な予感がした。

 自分はリシェイの事を散々巻き込んで苦しめた。しかし今、彼女に心から笑って穏やかに生きてもらいたいと思う心は揺ぎ無い。せめてこの旅を無事に終わらせ、リシェイを元の生活に戻す事が自分に出来る恩返しだと思った。

 三人の事は護る―――それが今のシュラにとってもう一つの旅の意味となっていた。

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