NOVEL  >>  W:CROSS  >>  7章:シュラ=ベルクロスト
【7章:11話】
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 シュラの言うとおり、入り口付近の家は何件か雨風を凌げる程度のものが残っている。隙間風が少々寒いけれど、致し方ない。食事は携帯食があったので、それを二人とも無言でかじった。

 クラッドとマリアの待つ場所へ往復するには充分時間があったけれど、最初から戻れないかもしれないと提案したのは、シュラがこうなる事を予想してだろう。
 程度がどれほどになるかはイドリ次第だが、戦いを前提としていれば、すぐに歩き回るのは難しいし、回復してから戻れば森の中で夜を迎える可能性もあると判断したからだ。

 屋内は雨風を凌げる家と言っても、既にまともな家具はない。廃村となった前後に使えるものは全て盗まれているのだろう。毛布も何もないけれど、野宿よりは遥かに良い。
 シュラが床に腰を下ろすと、リシェイも隣に腰を下ろす。

「しんどいでしょ?眠って良いんだよ?もし悪い夢を見てたら起こしてあげるから。それにイドリだって、さっき出たばかりだから来ないだろうし…」
「いいんだ、こうしてるだけで充分休める」
 そうは言っても、シュラの顔色はあまり良くない。しかしそれでも眠る事を拒否するのは、例えリシェイが理解者になったとしても、そう簡単に今までの習慣を覆せないからだろう。
 こういった事は徐々に慣れていくしかない。彼の心の傷は浅いものではないのだから。

「じゃあさ、何か話そ?何か楽しい事!」
 この村にいる事自体、シュラにとっては苦しい筈だ。せめて少しでも気持ちが安らげないだろうかとリシェイは必死に模索した。そんな彼女にシュラは少しだけ笑って見せる。
「じゃあリシェイが故郷にいた頃の話でもしてくれよ。リシェイはセンティアル大陸人なんだろ?俺のことを知られたんだから、リシェイの昔だって知りたい」
 自分の事を知りたい―――その一言が嬉しかった。リシェイは元気よく笑顔で頷く。
「センティアル大陸のリアンシティ…そこにある人材派遣組織【デュロアル】の本部傍にあるのが私の家なんだよ。リアンシティって知ってる?オーゼスタ国にあるんだけど」
「オーゼスタ国の風土とか文化は大体知ってるよ。俺はラメント大陸から出たことがないから、行った事はないけどな」

 リシェイは嬉々として話した。
 賑やかな港街であるリアンシティは、王都リドガルドのような華やかさはないけれど、気候が穏やかで食べ物も美味しく、人々はとても友好的だ。
 自分はよく繁華街やマーケットに行く上に店員と頻繁に言葉を交わすので、いろいろな人に顔を覚えられている。そのお陰で割引をしてもらったり、新しく入荷するものをいち早く教えてもらったりも出来た。
「中でもリアンアイスはサイッコーなんだよ!口当たり滑らかで濃厚なのに全然くどくないし、種類もすっごく多くて…ああ、思い出したら食べたくなっちゃうなあ〜」
「アイスの段数重ねてバランス必死に取ってるリシェイが目に浮かぶ」
 シュラは楽しげに笑っていた。…確かにそういった光景は日常茶飯事ではあったが、見てもいないのに当てられるのは癪だ。

「家はね、皆仕事仲間なんだ。デュロアルも昔はそんなに大きな組織じゃなかったから、組織設立から同居してた人や、私みたいな子どもの時分に身寄り無く加わった仲間が一緒に住んでた。皆仕事分野も性格も、年齢もぜーんぶバラバラだけど、仲良く住んでたんだよ」
 リシェイの脳裏に仲間の顔が過ぎる。
 本当の家族は失ってしまったけれど、新しい居場所をくれた大切な人たち。皆それぞれの道を歩いているけれど、その存在と思い出が、いつもリシェイの心を温めてくれる。

「中でも私がデュロアルに入る切欠をくれたカインは本当のお兄ちゃんみたいだったな。昔はいっつもカインの後ろにくっついてた。からかわれる事なんて日常茶飯事だけど、それでもいつも強くて優しいカインは憧れだったし、今でもそう」
「好きだった?カインさんのこと」
 突拍子も無いシュラの質問にリシェイは目を丸くする。
 本当に仲がいいな・とか、本物の兄妹みたいだと言われることは頻繁だったけれど、その質問は珍しい。
「え…えええ!?違うよ、カインは流石にそんな風に見れないし、カインも見てないよ。お兄ちゃんていうよりむしろ…アニキって感じ。一番身近だけど、一番そういう事も考えられない相手だよ」
 それに彼には今絶世の美女な妻がいるのだ。理想が彼女だとしたら足元にも及ばない。レッドバード夫婦―――カインとレミはファイターとして、人間として、そして女性としての憧れそのものだった。
 そう説明すると、シュラは「ふぅん」と告げて、また思いもよらない質問を投げかけてくる。
「じゃあ、理想のタイプは?」
「はい!?」
 さっきから素っ頓狂な声ばかりあげているが、シュラが妙な事ばかり訊くから仕方がない。

 理想のタイプなど聞かれても困る。そもそもシュラからそんな事を訊かれるのがとても困る。
 以前自分がシュラのことを好きだと自覚してから色々考えたけれど、他人に嬉々として話せるような想いではなかった。好きなものは好き。他の人を好きだと思うのとは少し違う、特別な「好き」。それしか言いようがない。
「そ…それは……今考え中!」
 顔を赤くして言い切るとリシェイはそっぽを向く。膨れ面で目を逸らすリシェイを見ていると、シュラはおかしくなって笑い出した。
 先程まであんな事があったのにもう笑えるなんて本当に凄い事だと想う。リシェイには自分を作らなくていいと思うと、気が楽だった。楽を通り越して、和やかな気分になる。

 この気持ちを何処にやれば良いのだろう?

 ティリアレイが何故リシェイを選んだのか、分かった気がする。彼女には人を惹き付ける魅力があって、他者と深く交わる事のない自分の気持ちにほんの僅かでも波紋を刻む事が出来たこの少女に希望を見出したのだろう。
 ティリアレイは、自分よりよっぽど人間くさい人だ。

「…イドリはティルを憎んでいただろう?」
 シュラの言葉にリシェイは座りなおして頷いた。
「…うん。自分を檻の中に閉じ込めたって…」
「俺も…そう思った。今また、気持ちが強くなったよ。俺もやっぱりティルが憎いと感じる」
「そんな…どうして!?ティリアレイさんはシュラに無事でいて欲しかっただけなんだよ!シュラのことを大切に思ってるんだよ!シュラにとって苦しい結果だったとしても、命があってこそ…!」
 シュラは薄く微笑み、何も答えてくれなかった。

 生まれた事が罪など、そんなのはあっていい事ではない。彼はただこの世に生れ落ちて、生きようとしただけだ。誰も傷つけようとすらしなかった。生きているだけで罪などと悲しい事を言わないで欲しい。
「生きようよ、シュラ。今は契約やイドリの事もあるから苦しいかもしれないけど、全部終わって自由になったら何だって出来るよ!楽しい事、沢山あるから!」
「楽しい事?」
「ええっと…そうだ!カルロンの街が復興したら、またあの店で一緒に御飯食べて踊ろう?リドガルドも結局観光できずで飛び出したし、エヴァルナ国も綺麗だから見に行きたいし。あと、リアンシティに行こうよ!」
「リシェイの故郷に?」
「そう!リドゥ国はシュラの方が詳しいと思うけど、あっちならどこだって案内できるから。ホントに良いトコなんだよ!デュロアルの皆やカインとレミにもシュラのこと紹介したい!皆良い人ばっかりだから、すぐに友達になれるよ」

 その後もリシェイは色々な話をしてくれた。
 故郷の事、仕事の事。修行中のことや、この旅の事まで。同じように各地を歩き回った身でありながら、リシェイの見た世界はこんなにも輝いている。彼女と一緒にいれば、自分も同じように世界を見られるかもしれないと思うと、不思議と楽しい気持ちになった。

 そうして語り明かしながら、夜が更けていく。

 只管喋り倒していたリシェイも少し眠そうだ。彼女の負担も相当なものだろう。
「そろそろ休もうか。リシェイは眠って良いよ」
「駄目だよ、シュラが起きてるのに…!」
 もし自分が寝ている間にシュラがうなされたらと思うと、呑気に寝ていられない。寝るならせめて彼が寝て目が覚めてからとリシェイは言い張るが、シュラは頭を横に振った。
「それともイドリが寝首をかくかもって思ったら、俺の近くで眠れる筈がない?」
「そんな事ないよ!」 
「じゃあ、おやすみ?」
 爽やかに言われると何も言い返せずリシェイは口篭ってしまった。
 彼女は自分の力が及ばないのかと思っていそうだが、それは違った。なぜならシュラの心は随分軽くなっていたから。もしかしたら気味悪がられていたかもしれない自分の生い立ちをリシェイは受け入れてくれた。そしていつもと変わらず笑ってくれる。それだけで充分だった。

 いや、自分は心のどこかで思っていたのだろう。リシェイならば真実を知っても共に旅を続けてくれる、と。
 自分は初めて他人を心から信用したのだ。奇跡のようだと思う。
「今日は寝付けそうにないし、眠ったとしても悪い夢は見ない気がする…。気分が良いんだ。むしろ眠るのが勿体無いくらいだから」
「本当に…?」
「嘘だと思うなら仕方ないけど」
 シュラの顔は穏やかだった。それはきっと心からの言葉なのだろう。
 この場合は下手に押し切るより彼の意思を尊重した方が、彼も安らぐと思ったリシェイは頷いて、眠らせてもらう事にした。強がっていても、流石に疲れてしまった。
「それじゃあ…おやすみ、シュラ」
「おやすみ、リシェイ」
 少し離れたところでリシェイは横になった。

 数十分も経つとリシェイはすやすやと寝息を立てていた。流石に契約の力を使った上にこれだけの事態になれば疲れるだろう。すっかり熟睡しているようだった。

 できればここには戻ってきたくなかった。
 戻らざるを得ないような事態になる前に決着をつけるつもりだったのに。ましてや自分の生い立ちに関係ない他人にここまで自分をさらけ出す事になるなど思わなかった。

「ごめん、リシェイ」

 彼女は「生きて」「諦めないで」といつも言ってくれる。その言葉が傍観者のものではないことは、既に重々承知している。何の得もなく、ただ身を危険に晒すだけと分かりきっていても、彼女は何度もぶつかってきて、その言葉を吐いた。最早それでも疑うほど馬鹿じゃない。

 彼女はこれからもっと多くを吸収して成長し、多くの人の助けになるのだろう。こんな見ず知らずの人間の勝手な所業に巻き込まれて良いような子ではないのだ。
 自分がどういう人間かなど分かっている。もし同じような他人がいたら、友人になろうなどきっと思いもしないだろう。
 こんな自分と一緒にいられたのは、きっと彼女だったからだ。屈託がなくて、天真爛漫で。真っ直ぐすぎて失敗したり傷ついたりもするけれど、それをきちんと糧にして前に進める人。
「俺もキミみたいになりたかった。…でも、無理だ」
「ん…」
 もそり、とリシェイが軽く寝返りを打つ。起こしてしまったかと思って顔を覗き込むと、相変わらずすやすやと寝息を立てて眠っていた。

「シュラ…」

 ポツリと呟いた名にシュラは驚いてリシェイを凝視した。てっきり起きているのかと思えば、相変わらず眠ったままだ。
「夢の中でまで俺の世話焼いてんの?」
 シュラは思わず苦笑する。
 今まで誰の記憶にも大して残らない生き方をしてきたのに、夢にまで見られるようになるとは驚きだ。
「…ありがとう。もう良いよ、リシェイ。充分だ」
 全てが終わって解放されたら、心穏やかに生きて欲しい。彼女は常にあちこち飛び回っては他人の世話を焼くから、きっとまたトラブルに巻き込まれたりもするのだろうけれど。それでもリシェイなら乗り越えて、多くの笑顔に囲まれて生きていくのだろう。
 そこに自分がいなくても、自分の人生に関係が無くても、リシェイがそうあると想像しただけで不思議と心が和らぐ。

 今、久々に気持ちが少しだけ軽くなった。
 虚勢を張ることも、いい人を演じる事も、悪人を演じる事もなく、素直な自分でいられる。他者とこんな時間を過ごすのは、生まれて初めてかもしれない。
「俺は普通に生まれてたら、どんな人間になってたんだろうな。マリアちゃんみたいに大人しい奴だったのかな。それともクラッドみたいに怒りっぽい奴だったかもしれない」
 もしかしたらリシェイの近くに生まれて、友人になってたかも―――そんな事を考える自分がおかしくなってくる。
「出会っていたら、俺は案の定キミに振り回されて…それでもやっぱり惹かれたのかもしれないな」

 シュラはリシェイを閉じ込めるように床に手をついた。相変わらずそんな事にも気付かずに、自分の真下で眠る彼女を見ると思わず笑みが零れる。
「…リシェイ」
 静かに身を沈め、互いの唇が触れる間近でシュラは動きを止めた。
 小刻みに震える唇を噛むと、緑の瞳を固く閉ざした。
「………恨むよ、ティル」

 初めて知った感情を捨てる事なんて、今までを考えると日常茶飯事だ。その事に慣れすぎて、最早躊躇なんてしないはずだったのに、この感情はどれほど遠ざけようとしても消え去ってくれない。一層執着が芽生えるばかりで、要らぬと突っぱねても戻ってくる。
 目の前の少女の笑顔が、いつも脳裏から離れない。
 甘く優しい感情の筈なのに、想えばいつも以上の痛みが伴う。

「好きだ…」

 シュラはポツリとつぶやいた。
 目の前にいて、聞かれていないなら、せめてこの一時は許されるだろうかと思いながら。

「キミが好きだよ、リシェイ…。初めて、キミだけが」

 シュラは少し身を離すと、リシェイの目元に軽く口付けを落とす。
 緑色の瞳から、静かに一筋の涙が零れた。

「…俺が【俺】でなければ、キミに恋する事が出来たのに」


 キミの事を想って生きたかった―――
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