NOVEL  >>  W:CROSS  >>  7章:シュラ=ベルクロスト
【7章:10話】
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 廃墟と化したブルーティア村に響くのは風と揺れる木々の音。
 この村を破壊しつくした存在は不敵に笑っていた。

「分かったか、小娘。この者には何一つ取り戻すものなどない。失うものすらないのだ。ただ虚無を彷徨うだけの哀れな亡霊に同じ」

 イドリは喉を鳴らして醜悪な笑みを浮かべる。優しさなど一片もない顔で。
 シュラは決して望んで誰かを傷つけるような人間ではない。彼が抱えているもの故に、人を遠ざけたり深く関わることを避けたりもするけれど、本心では人との繋がりを大切にしようと努める事が出来る人間なのだと、元アーミス領に着いて漸く確信できるようになった。
 それを踏みにじっているのが、同じ顔をした目の前の存在。

「お前は俺を檻から出すための大事な鍵だ。滅多なことで殺すつもりはないが、何をしても殺されぬとは思うなよ。単なる障害でしかないと判断すれば、その喉掻っ切ってくれる」
「…私だってこれ以上アンタの好きになんてさせない。そしてシュラの事は必ず救ってみせるから」
 監獄の中にいるのはシュラの方だ。常に猛獣の爪の届く檻と横並びにされて毎日を生きている。本当は誰も傷つけたくないと願っているのに、この存在は彼の穏やかな心さえも砕いてしまうのだ。

 生まれてから誰にも認められず、ただ苦しみだけを背負って、人の愛を知らぬシュラ。夢や希望を抱いた事がないから、その温もりを追い求める事も知らない。
 けれど―――

「たとえ望まれて生まれたんじゃなくても、望まれて生きる事は出来るでしょ…!」

 シュラに生きていてほしい。彼が心から生きていたいと願えるようになってほしい。その願いはリシェイの中で確固たるものだ。
 本当の絶望は心から諦めてしまった時に訪れる。しかしまだ前に進む気持ちがあれば、いつか光明が見えると信じたかった。彼が心から笑った顔を、いつか見たい。
「生まれた時からシュラの人生が終わっていたなんて事はない!生きれば辛いことも苦しいことも沢山ある。けどそれに負けないくらいの幸せを探して辿り着く事はきっと出来る!生まれて来る時に、その人生に苦しみがある事を知らないように幸せだって知らないことだよ」
 苦しみも喜びも降りかかるもの。
 幸せは求める分、自分で探さねばならないから苦しみよりも少しだけ少ないかもしれない。けれど決して消滅はしない。求めればいつか辿り着けるとリシェイは叫んだ。

 イドリはリシェイを見て鼻で笑う。
「愛だの何だので他人の為に犠牲になる人間は実に愚かしい。この男は所詮生きる屍だ。例えお前がどれだけ慈悲の言動を与えたとて、無駄な事。お前の想いが報われる事など、ない」
「無駄な事なんて一つもない。あなたにはきっと分からないだろうけど」
「貴様が嘆き崩れるのが楽しみだ。生意気な小娘、この男を喰らった暁には貴様を八つ裂きにしてやろう。フッ…ハハハハッ!」

 声が次第に小さくなっていくと、シュラの膝が折れて地面に倒れこんだ。
 リシェイは慌てて駆けつけて、シュラを起こす。
 万が一イドリの演技かもしれぬという危険性は念頭に置きながら、リシェイは前髪から除く額の大きな傷跡にそっと触れた。シュラという人間にとって、始まりと終わりをもたらした印に。
「シュラ、しっかりして…」
「リ……リシェイ…か……?」
「シュラ、だよね…?」
 先ほどとは目つきが違う。もうイドリではないのだろうが、リシェイは恐る恐る尋ねてみた。そんな彼女の様子を見たシュラは安堵とも言い切れぬ複雑な表情で息を吐き出すように呟いた。
「……その様子だと、上手く行ったみたいだな。ちゃんと、アイツは話した?『シュラ』の事、俺の契約の事…ティルのこと」
「……うん。聞いたよ、全部」
 リシェイはそれ以上の言葉が出なかった。
 彼という存在に対して、慰めも哀れみも、全て苦しみにしかならないと感じたから。
 ただ生きていくという命あるものにとって当然の行動すら、彼はその資格がないと思っているのだろう。魂のない機械ですら、誰かに望まれて作られる。しかしシュラは望まれて現れたのでも、人としての営みの結果ですらない。
 本当の孤独―――それはきっと自分が想像するよりももっと恐ろしいのだろうとリシェイは胸を痛めた。

「危ない橋を渡らせてゴメンな」
「良いんだよ。それしか方法はなかったし、シュラは私を信じてくれたから、この方法を選んだんでしょ?」
 ティリアレイを探すに当たって、リシェイは必要な存在だから、イドリも殺しはしない。
 しかしクラッドやマリアは別だ。
 あの狂気の男の事だから、リシェイを殺せない腹いせに、二人に手をかけようとするかもしれない。マリア一人を残すわけにはいかないし、リシェイも誰かを守りながらよりも一人の方が戦い易いだろう。
「本当は…クラッドやマリアちゃんにも、俺から話すべきなんだろうけどな…」
「仕方ないよ。ちゃんと話聞けたから…私から話すよ。本当はシュラも自分から話したかったんでしょう?きっと二人も分かってくれるよ。だって私たち、もう仲間だって胸を張って言えるくらいの付き合いだもん」
「ありがとうな…」

 シュラの顔色は随分悪い。イドリが発現する事も、それを抑えようと契約が発動する事も彼の心身に相当な負荷がかかるのだろう。その証拠に、イドリが現れたと思しき時の後、彼はいつも倒れこんでいた。
「…辛かったよね?苦しかったよね?」
「大丈夫だ…何てことない。それにもう、体の一部みたいで慣れてるし…」
「こんな事に慣れなくて良いよ!」
 リシェイはシュラの手を握り締めて俯いた。まるで祈るように。
 群青色の瞳から涙が零れ落ちた。
「私…悔しい」
「悔しい?どうして?」
「だって、あんなヤツにシュラが踏みにじられてるんだって思うと…!」
 怒りがこみ上げてくる。今は眠りについているのだとしても、あの悪魔はすぐ傍らにいるのだ。そしてまたシュラを苦しめる。
 矛盾だと分かっているが、眠りについていることすらも苛立たしく思えるほどだ。シュラはヤツに怯え、苦しむ故に睡眠を恐怖に感じ、眠ることが苦手だとすら言うというのに。イドリの脅威を排除しない限り、シュラが心穏やかに眠る日は来ないのだろう。

「私、絶対シュラの事を見失ったりしないから。例え分からなくなりそうになっても、絶対に見つけるから!だから…もう一人で苦しまないで」
「リシェイ…」
「私はシュラの味方だよ。何があっても、絶対に変わらないから。だからシュラは忘れないで。もう一人ぼっちなんかじゃないって事」
 別人だからこそ出来ることもきっとあるだろう。もしかしたら長年見えなかった出口も、二人で探せば見つかるかもしれない。誰かと手を取り合えば成せることは沢山ある筈だ。
 自分は、彼の苦しみを終わらせてあげたい。
「一緒に頑張ろうね、シュラ」

 満面の笑みはパッと花が咲いたようだ。どんなに過酷な状況下でも、希望を忘れないリシェイの笑顔は輝いている。もしかしたらまだ出来る事があるのではないか―――そんな気にさせてくれた。

 シュラはリシェイの手の温もりに目を閉じる。
 この子は突風のようで、けれど時に安らぎをくれるそよ風のよう。
 出会った時からそうだった。人との関わりや出会いに興味を持たぬ自分を一気に引き込んだ。彼女と初めて出会い、カルロンの街で過ごした日―――感情の起伏は浅くとも、誰かと目的や時間など関係なしに楽しく過ごしたのは初めてだったかもしれない。
 きっとティリアレイはそんな自分の感情の機微を見抜いて、リシェイに望みを託したのだ。

「リシェイ、風の凌げる家に行こう。少し…具合が悪くなってきた」
 今回は終盤イドリが落ち着いていたお陰か、反動は少ない。しかしイドリが完全に表層に出た時は心身に負荷がかかるので、少し休まねば倒れかねない。頭がぐらぐらとして、体が鉛のように重い。

 リシェイは頷いた。
「大丈夫?肩、貸そうか?」
「いや、そこまで酷くはないから歩ける。多分村の入り口付近なら雨風を凌げる程度の部屋が残っている家もあるだろうから行こう」
 ゆらりと立ち上がるシュラをリシェイは支えながらゆっくりと歩く。シュラは横目でリシェイを見やった。
 常に声をかけてくれるけれど、戦いの後であんな話を一度にされれば、リシェイとて平静ではいられないだろう。それでも気遣ってくれるのは、それだけリシェイが強く優しい人だからだ。自分は何一つ返せやしないのに。

 横にいる小さな彼女の存在に、シュラは微かに目を伏せた。

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