NOVEL  >>  W:CROSS  >>  6章:裏切りの国アーミス
【6章:19話】
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 カツン、カツンと足音が響く。

 その音が数歩先で止まると、足音の主は疲れたように溜息を吐き出した。
「ったく、協力する気あるのかしら、あの女…」
 ふわりとした金色の髪の女性は軽く舌打ちをすると、腕を組んで廊下の壁にもたれかかる。苛立ちの原因はつい先程会った女の所為だ。目的の相手との会話は二進も三進も行かず、結局根負けして出てきた。
 どうしたものかと思いながら軽く目を閉ざして開くとそこには―――

「ミーーーーナおねーーーちゃんっ!!」

「………」
 金髪の女性―――ミーナは固まったままだった。突如現れた黒髪の男は小首をかしげる。
「あれれ?何だ無反応なんて楽しくないなあ〜。キャーとか言ってほしいな〜。可愛くキャーって」
 ミーナの前に現れたのはヤクモだった。
 てっきり突然の登場に驚いてくれるかと思えば無反応なので詰まらなさそうに口を尖らせると、ミーナは我に返ってわなわなと震えだした。

「こ……この馬鹿男ーーー!!!」

 ミーナは腰の剣を抜くと、鬼のような形相で手当たり次第に振り回し始める。壁や床に傷が出来ようともお構いなしに剣を振るうのは、本気で怒っている証拠だろう。
 ヤクモは反応が返ってきた事に楽しそうに笑っていた。
「あははは、ミーナねーさんこわ〜い」
「五月蝿いわね!突然現れるな・気色悪い喋り方止めろ・ニヤニヤするなって言ってるでしょ、この変人!!」
 無数の斬撃の雨をヤクモはさぞ嬉しそうに紙一重で避けていく。ケタケタと笑う声が更に耳障りでミーナの怒りは増すばかりだ。
 苛立ちが頂点に達したのか、ミーナはついに呪術の詠唱を始めた。しかしヤクモはといえば、酷くなった状況を更に楽しんでいるようにも見える。
「死ね、この変態男!!」


「ス、ストップ!!ミーナさんストップ!!」

 男の声が廊下に響き渡る。
 ヤクモでもガレイアでもない男の声は、ミーナが良く知るもう一人の人物。
「……何だ、アンタかぁ」
 肩で切り揃った金色の髪と、実年齢よりも幼く見える顔立ち。白衣を着た少年は―――

「はあ…いくらこの廊下は幹部しか通らないって言っても、君たち二人の個室じゃないんだよ?ガレイアさんなら平気なんだろうけど、僕はここを通る度に命が縮むよ…」
 頼むから廊下は静かにと言うと、ミーナは「悪かったわよ」と渋々謝った。ヤクモはいつもどおり笑うばかりだ。
 この二人が素直に言葉を聞き入れるのは、この少年が二人にとって信頼に足る人物だからだ。決して戦う力があるわけではないが、彼の功績は組織において大きい。

 ヤクモは少年を見てポンと手をついた。
「あっ、そーだ。インクインク。はいどーぞ」
 ヤクモが手をかざすと小さな黒い空間が生まれ、その掌にはアーミス産のインクが現れた。それを受け取った少年はぱっと明るくなる。そしてすぐさまヤクモに詰め寄った。
「ありがとう!その…それで、僕の手紙は…?」
「渡したよ」
「彼女はどうだった!?怪我とか病気とかしてない!?元気そうだった!?」
「元気元気。とーっても元気いっぱい。お店も忙しそうだけど楽しそう」
 詰め寄っていた距離を少し離して「そっか」と呟くと、少年は胸を撫で下ろす。会えぬ想い人の姿を考えては溜息をついた。

 そんな少年の姿を見たミーナは呆れ混じりではあるが、いつもより優しげに肩を竦めた。
「ホンット純情っていうか…。ある意味凄いわ、アンタ」
「ミーナさんだって只管ガレイアさんの為に頑張ってるじゃないか。凄い事だよ」
 真っ直ぐな目で見られると調子が狂う。
 いつもは他人に対して厳しいミーナもこの少年には少し甘くなる。仲間である前提は勿論だが、一人を想い続けているという点でも共感できるし、何より彼の性根が真っ直ぐだからだろう。性格もあって、どこか憎めない。

 少年は白衣の襟を正すとミーナとヤクモを交互に見つめる。
「ところで二人揃ってどうしたの?」
「揃ってたワケじゃないわよ!この変態がいきなり驚かしてきたからキレてたところ!」
「そ、それは…まあまあ落ち着いて。ヤクモさんの悪戯なんて今に始まった事じゃないし…」
 ヤクモが何か仕出かして、ミーナが怒って少年が仲裁する。この光景はアジトでは既に日常茶飯事だ。
 少年がいるからバランスが取れているとも言える。彼に戦う力はないけれど、常に他者を見下すミーナや思考回路が支離滅裂なヤクモと対等に接する事が出来るのは、彼にそれだけの能力があるということだ。

 ミーナは腕を組むと先程通ってきた通路をちらりと横目で見やる。
「私はあいつに聞きたい事があったから来てたの。大人しく鎮座してるのかと思えば勝手にリシェイと契約なんかしてたじゃない。それにあの男…」
 ミーナは苛立たしげに歯を食いしばる。
 時間が経てば完全に消えるだろうが、まだ顔に薄っすらと残る傷跡を思い出すと胸がムカムカとしてくる。
「あのシュラとかいう男の事だって何も言ってなかった。アイツはティルの事を探してるって言ったわ。それなら私たちにも無関係じゃないでしょ?その所為で私はとんだとばっちりを食らったのよ!?それなのに今しがた問い詰めてみればダンマリ決め込んで…!」

 ティリアレイ=ファルメス。シュラとリシェイの契約主。そしてこの組織の主であるガレイアのすぐ近くに在る者。
 只でさえ敬愛するガレイアの近くにいる女というだけで気に入らないのに、今件の一因にティリアレイが関わっていると知ったら尚更面白くない。
 ミーナは苛立たしげに爪を噛んだ。

「ティルは出来得る限り休息を取らないと、もたないんだ。それはガレイアさんにも言われたから分かっているだろ?それに僕の研究にも付き合ってもらっているから、話したくても話せない時も多いし」
「分かってるわよ!でもリシェイと契約を交わしたのはカルロス地方の作戦仕上げの最中だったじゃない。何とか成功はしたけど、一歩間違えれば五年間がパーになってたのよ!?…何考えてるか分からなくて気持ち悪いわ」
 ミーナはティルのいる方向を一瞥すると不快そうに眉根を寄せる。

 彼女の怒りも分からなくはない。ミーナは組織の作戦を忠実に遂行した。これは組織内の総意だったはずだ。
 しかしティルがリシェイという一つの駒に働きかけた事で、想定していた盤面が少しずつ狂ってきている。
「…嫌な予感がするのよ。この歪みが私達に不利な結果をもたらしそうな気がして」
「それは…何とも言えませんけど…」
 ミーナは激情家寄りな節があるが、思考は至って冷静だ。着実に物事を遂行する能力は、カルロン家に長年潜入し、領主しか知らぬ守護方陣を探り当て、複雑な印で組まれたそれを一人で破壊したという実績にも分かること。
 だからこそ少年も単なる杞憂だと受け流す事も出来ず、言葉に詰まってしまった。
「だからガレイア様に直接お話を聞くわ。ガレイア様ならきっと納得のいく説明をしてくださるでしょ?」
「あ…でもガレイアさんなら留守だよ。今は【あっち】に戻ってる。もうそろそろ戻らないと、あの人は実質今の騎士団のトップみたいなものだしね。いつまでも遠征ってわけにはいかないだろ?」
「えぇ!?なあに?それじゃあまた暫くお会いできないの!?」
 ミーナは少年の言葉を聞くや否や、質問が出来なかった事以上に顔を見られないことに肩を落とした。ガレイアの部屋の方向を見ると口惜しそうにブツブツと呟いている。

 ガレイアがいないのだと分かると、ヤクモもグッと背伸びをして大あくびをする。
「なあ〜んだ。それじゃあまた暫く水面下でだんまりなのかあ。なら僕は…蒔いた種を育てようかなあ。次にリシェイに会う為の準備をしなくちゃ」
 ヤクモは恍惚に顔を歪ませながら喉を鳴らして笑う。ああしようか、こうしようかと一人で良からぬ妄想を企てる様を見ると、流石のミーナも敵ながら彼に好かれたリシェイが哀れになってくる。
「ていうか、アンタ。外出したなら報告書上げなさいよ?」
「え〜?そういうのが嫌だからガレイアに直接言いに来たんじゃないか〜。報告って言っても、僕とリシェイが仲良くしてたことしかないんだけどなあ?あとはフォールのお使いの手紙くらいでしょー」

 リシェイに会うのは勝手にすると公言しているので、それ以外の報告ならば手紙を渡しにいった程度。それなら手紙の主が報告すれば言いと言い張るヤクモに少年―――フォール=ディアンシーは苦笑した。

「…ところでミーナさん。この間のミーナさんの報告書読んだけど…マリア=グレース=カルロン付きの騎士の名前…間違いないのかい?」
「マリア付きの騎士?ああ、間違いないわよ。確かクラーディオ=アルテインだったわね。それがどうかした?」
「…いや。知り合いだったから、まさか名前が出てくるとは思わなくて。大した事じゃないから構わないよ」
「そう?それじゃあ私は自室に戻るわ。ガレイア様がいないんじゃ意味ないし。私も次の動きに備えるわ」
 と言ってもガレイア不在ではあまり大きな動きも出来ないけれど、と言うミーナの言葉にフォールも頷く。各々の意思で動くこともあるけれど、基本的には組織の長であるガレイアの決定の下に行動は定まっていく。

 ヤクモは小さく呟いた。
「…慎重なのはかまわないけど、度が過ぎるとつまらないなあ。僕を退屈させないんじゃなかったのかな、彼は」
 ブツブツと何かを呟くヤクモに何を言っているのかと尋ねるも、ヤクモは「何でもないよ、ミーナ姐さん」と言っていつもの調子で笑う。

 特にこれ以上話す事もないと自然に判断すると、ミーナとヤクモはその場を立ち去っていく。
 二人を見送って一人廊下に残ったフォールは掌のインクを見つめてポツリと呟いた。

「……何をしてるんだよ、キミは」

********

 火事から4日。
 クラッドは指揮者としての後仕事を片付け、リシェイの足も自前の特殊な薬のお陰で随分よくなった。
 いつでも出発できる状態になり、次の目的地を定めようと一同はテーブルにつく。

「…皆。次の行き先は…俺に任せてもらいたい」

 最初に話を切り出したのはシュラだった。いつになく神妙な面持ちで、飄々とした態度は微塵もない。
 服の上からぎゅっと胸を掴むと皆を見渡した。

 クラッド、マリア、そしてリシェイ。
 今迄ずっと一人で過ごしてきたシュラにとって、これだけの時間を共有してきた【他人】は初めてだった。成り行きで集まった、生まれも職業もバラバラな4人がこうして同じ時間を共有しているのは、きっと偶然という言葉では片付けられない。

 そして今―――共に在るのがこの3人だった事に感謝していた。初めて無条件に心配し、心から笑顔を向けてくれた【他人】に。

 今まではむこうが勝手に関わってきたのだから、何があっても自己責任だと思って楽観してきた。リシェイの事は巻き込んだに相違ないから多少特別扱いもするし、彼女は何よりも自分の忌々しい契約を解く重要な鍵だから、決定的な危険の渦中には行かせまいと心がけてはいただろう。

 けれど今は、皆が無事であれば良いと思っている。

「行く宛てがあるなら構わないけど…何処に行くの?」
 リシェイはシュラの顔を覗き込んで小首を傾げる。
 シュラはこれまで行き先に関しては事細かに口を挟んできたと思う。しかし今回の様子は今までと違った。何か思いつめたような表情で、どこか悲しそうにも見える。彼の様子が豹変する事は今迄幾度かあったけれど、今回のようなケースは初めてではないだろうか。


「…ブルーティア」

 トクン、と一瞬だけリシェイの契約の紋様が疼いた。まるでその単語に反応するように。
 シュラの亜麻色の前髪から、悲哀交じりの緑の瞳が覗いた。

「ブルーティア村。……シュラ=ベルクロストの生まれ故郷だよ」

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