NOVEL  >>  W:CROSS  >>  6章:裏切りの国アーミス
【6章:13話】
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 空が茜色に染まり始める。

 人の通りも疎らになり始める時分の道を、荷物を抱えて息を切らせながら走る少年がいた。身なりはお世辞にも良いとは言えず、服のあちこちに綻びが目立つ。髪も手入れされていないのでパサパサだ。育ち盛りの齢であるにも関わらず、栄養のあるものを満足に食べていない所為で痩躯だった。
 しかし今日の彼の表情は明るい。
 身を隠すように走るものの、顔は綻んでいた。路地に入って地元の人間しか立ち寄らぬ道を抜けると、古びた建物が並ぶストリートへと出る。窓ガラスはあちこち割れ、壁に亀裂の入ったものも多い。
 その一角の建物に少年は飛び込んだ。

「おかえり、兄ちゃん!」
「おかえりなさーい!」

 割れた窓から西日が差し込んで、壁をオレンジ色に染める。石造りの廃屋に運び込んだガラクタを寄せ集めて風や寒さを凌ぐ場所から4、5人のまだ幼い子ども達が顔を覗かせた。
 見知った顔を見るや否や、子ども達は満面の笑みで飛び出してくる。
「ただいま!トーマの様子はどうだ?」
「横になってるよー」
「そっか。お前らも付いててくれてありがとな」
 少年は急いで二階へと駆け上がり、子ども達も追従した。

 軋む扉を開けると中は階下と同じく朽ちた内装が目立つ。部屋の片隅から咳き込む声が聞こえて、ゆるりと影が身を起こした。
「にい、ちゃん。おかえ…ゴホッゴホッ!!」
「起きなくて良いって!ほら、寝てろよ」
 顔色の悪い男児は咳き込みながら布切れを何枚も重ねて作ったベッドに再び横たわる。『兄』と呼ばれる少年は顔をほころばせながら手に抱える袋を漁った。
「トーマ、今日は薬を買えたんだ。これを飲めばきっと良くなるからな。皆もちょっとだけ多くパン買ってこられたから沢山食えよ!」

 子どもにパンを渡すと彼らの目は輝いた。ここ数日ロクなものを食べていないのでお腹はぺこぺこだ。しかし身を寄せ合って生きる彼らが苦境にあるのは皆同じ。決して愚痴などを零すことはなかった。
 しかし年長の少年は自分よりずっと幼い子ども達が泣き言を言わずに耐えているのを見て何とかしてやりたいと願い続けていた。店で大人同様に働いたり、新聞を配る仕事を掛け持っても、所詮少年の稼ぎでは自分が食べる分には何とかなっても他者を養うのは無理だ。ましてや病気がちの子を抱えているとなると薬代も馬鹿にならないし、子供たちの年齢では働く場所もない。
 それでも親を亡くしたり、捨てられた天涯孤独の境遇の中新たに得た『家族たち』を見放すことは出来ない。血は繋がっていなくても、大事な存在なのだから。

「さ、ちょっと苦いかもしれないけど、これを…」
薬の包みを開けた瞬間、ふっと暗い影が差した。

 この場所には少年より大きな人間はいない。それにまだ日が沈みきるには早い筈だ。
 ゆるりと振り返るとそこには―――頭からすっぽりと黒いローブを纏った男が立っていた。
「う…うわああっ!!」
 突然の侵入者に周囲の子どもも全く気づかなかったらしく、怯えるように少年の元へと集まった。ギシギシと音を立てる木板を踏みしめながら近づいてくる男に、少年は子ども達を庇うように後ずさる。
「お、お前…あの時の!確かに撒いた筈なのに…!」
「そうだねえ。確かになかなか良い俊足だと思うよ?もっと体が出来上がって鍛えれば、すっごい特技になって仕事に就けちゃうかもねー」
 相変わらず馬鹿にしたような口調でヤクモは喋る。
 全身漆黒のローブの男が迫ってくる事の方が、普段の姿で現れるよりきっと恐ろしく得体の知れないものに感じられる。だからあえてヤクモはこの格好で一連を構えていた。
 この町でぼんやりと歩くよそ者はスリに狙われやすい事など重々承知だ。むしろヤクモは誘っていたのだ。そして蜘蛛の巣にまんまとかかった可哀相な今日の獲物がこの少年たち。

「なっ…何なんだよ、お前!」
「えー?知ってるでしょ?お財布の持ち主さんだよ?」
「そ…それはそうだけど、そういう事じゃなくて!」
 尾けられたという気配は全くなかった。それに旅行者は先ずこんな裏通りに入ろうとも思わないだろう。一般人を拒絶するように廃れた裏通りなんて、滅多な用事でもなければ地元民でもあまり入りたがらない。
 仮に自分が全く気づかず尾けられていたとしても、後ろにピッタリとついて来るでもなければこの早さで追いつくなど不可能だ。さすがにそこまで密着していれば気配に敏い自分ならば気付く自信が少年にはあった。

 黒外套の男―――ヤクモはフード越しにニヤリと愉悦の笑みを浮かべた。
「嫌だなぁ、キミが招待してくれたんじゃないか。お家においで、って…ね。僕も流石に会った事もない相手の家に乗り込む勇気はないよ。シャイだから」
「ふ、ふざけるな!」
「ふざけてないよ?だって僕の財布を先に盗ったのはキミじゃない?ああ、心配しないで。僕は財布を盗られたことを怒ってなんかいないよ?むしろ嬉しかったんだ。僕と遊びたいって言ってくれたようなものだからね?誰もかまってくれなかったら寂しいなと思ってたんだよ?」

 財布を盗った事に対する罪は反論出来ない。全ての非が此方にあることも承知している。
 元・アーミス国民の罪に対するこの国の対応は即座に市民階級を落とされるか、投獄されて健康状態如何によっては奴隷扱い。恐らく自分は後者になるのだろう。そして共に住む子ども達も同等の扱いを受けるのだろう。その認識はあったけれど、もう生きるには他に道がなかった。
 せめて子ども達だけでも守らねば、と少年は震える手で辺りを探り、少年は近くにあった角材を握り締める。戦いにおいては全くの素人である子どもでも、ヤクモの不気味な闇に身の毛がよだつ思いだった。

「そのパン、食べられたら久しぶりにお腹いっぱいになったかもしれないね?お薬、飲んだら元気になって走り回れたかもしれないね?おにいちゃん、もうちょっとで幸せな一日になったかもしれないね?」
 ヤクモは喉をクックッと鳴らす。次第に大きくなっていく歓喜の震えが最高潮に達した時、周囲に小さく振動が走った。

「あーっはははは!良い!良いよ良いよ良いよ!一歩が届かない上に後のないその絶望的なカオ!そう、それが見たかったんだよ…あはははは!ああ、楽しい!」

 ヒュっと手を振りかざすと、突如部屋の天井が崩れて出入り口を塞ぐ。僅かばかりに階下へ通じる景色を残して。
「ほら、もしかしたら逃げられるかもしれないよ?どうする?ねえ、どうするの?」
 不意に焦げ臭いにおいがして少年達は周囲を見渡すと、ヤクモの足元付近から小さな炎が現れて、ジリジリと床をこがしている。ただでさえ劣化の進んだこの建物に火が回ろうものならば、跡形もなく焼け落ちてしまうだろう。
 血相を変えて近くの布を握り締めた少年は必死に消火しようと、熱冷まし用に置いておいた水を含ませて叩きつける。しかし炎が消える事はなく、徐々に広がりを見せていた。
「止めろよ!頼むから消してくれ!」
「消せば?頑張れ〜」
 ヤクモはヒラヒラと手を振ってみせる。
 すると彼を闇が包み隠すように覆っていく。完全に飲まれると、ヤクモはその姿を消した。


 転移の術は物質を瞬時に別の場所へと移動させるもの。禁呪の一つでありヤクモが得意とする呪術の一つだ。
 但し何処へでも移動可能というわけではなく、ヤクモの魔力の痕跡の残されたポイントにのみ転移先として移動可能である。アジトには勿論、長期にわたる潜入作戦を決行する際、リーダーであるガレイアから、ミーナにも万が一の時に備えて痕跡を持たせるように言われていた。彼女自身は要らぬと言っていたが、ガレイアの命令であれば逆らうことなく持っていたので、皮肉にもそれが功を奏した形となった。
 海底洞窟でミーナが危機に陥った時瞬時に駆けつける事が出来たのは、持たせていた魔水晶アイテムが彼女の活動力の増減を感知する機能を備えていたものだったお陰だ。
 今回は財布に痕跡を忍ばせておいた。だから少年が何処へ行こうと追跡など容易かった。息を切らせて遠くに逃げ切った安堵を想像すれば、尚更愉快だ。

 ヤクモを包む闇が晴れて、フードを下ろす。
 そこは陽の沈みかけたアモンの街ではなく、硬質な床と壁で覆われた長い廊下だった。我が家に等しい空間をヤクモは歩く。
「ああ、今日は何て楽しい日なんだろうね。こんなに素敵なのは初めてかもしれないなあ」
 ヤクモはリシェイと共にいた時間を思い出し、ペロリと舌なめずりをしてみせる。まだ何も気付いていないリシェイはこれから自分の事を知ってどんな顔をするだろうか?

 幾重にも重なった『悦び』に歪んだ歓喜の笑みを浮かべながらヤクモは廊下を踏みしめた。

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