NOVEL  >>  W:CROSS  >>  6章:裏切りの国アーミス
【6章:11話】
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 「シュラ様、今日は本当にありがとうございます。わたくしの我侭につき合わせてしまって申し訳ありません。………どうしても、シュラ様と二人でお話がしたかったのです」
「このタイミングで?」
 リシェイやクラッドの気遣いの甲斐もあってマリアは立ち直ったようだが、だからと言って全てを払拭できたわけではなかろう。そんな事は互いに承知だ。だからこそ見え透いた質問を投げかけたのだ。その方がマリアも話題を振りやすいだろう。

「…シュラ様と単にお話をしてみたいという気持ちがあったのです。視野を狭めたままでは、わたくしはいつまで経っても成長できないと思いますから…」
 彼女の秘密を知りながら気を遣うこともなく利用し、理性をかなぐり捨てて戦った様子を目の当たりにしたのはつい先日の事だ。あれからマリアと言葉を交わす事は別段なかったし、これからは皆無に等しくなる可能性だって想定していた。いや、むしろそうなるだろうと思っていた。

 正直なところ、マリアのことはミーナと同じような考え方をしていたと言っても過言ではない。
 マリアは正式に認められていなくても、確実に王家の血を受け継いでいる。人の許可云々ではなく、王族にしか出入りできない空間があるのは知っていたし、自分が未来視の杯で見た中に、海底トンネルを自分は視ていた。海底トンネルが王家縁の土地とは知らなかったが、視た一部に王家の紋章が刻まれた柱が視えたので可能性を想定した。
 事前に図らずも知った、カルロン家の令嬢が実は王家に縁があることと、どういう過程で訪れるかは分からぬが視えた海底トンネル。この二つはいつか結びつくのではないかと思ったから、率先してマリアを同行させる事に賛同したのだ。ファロローム遺跡はもうけものだっただろう。

 王家の血族というのは、学者や騎士のように努力で積み上げたスキルとは違う。望んでも手に入らぬマリア特有にして最大のスキルだ。自分の目的は国というものに直結しているらしいと知れば、マリアの存在は有効に活用できると思うのは当然だ。

「俺はミーナと対して変わらないよ。君の事を利用したんだ。知れば傷つくと知っていても尚」
「それでも構いません。わたくしはもう全ての言葉を額面通りに受け取るつもりはありませんわ」
「へえ?それってどういう?」
「わたくしは何も考えていませんでした。誰かに与えられる環境が全てで、誰かに言われた言葉が真実で…自らは動こうとしませんでした。むしろ自らが動くと碌な結果にはならないと思っていました」
 自分が何かしようと考えついた時、皆は既にそのずっと先にいる。そして自分が行動を起こすと、皆の予定や調和を狂わせてしまい、結果的に足を引っ張る。いつもその繰り返しだった。それならばいっそ何もしないのが一番の協力ではないかと思うほどに。

「じゃあ聞くよ?君が動いて碌な結果になると今は思ってる?」
「いいえ、それは変わらないと思います…。だってわたくしはただのその場凌ぎの思いつきで動いているのですから」
 城を出た時も、遺跡に一緒に赴いた時もそうだった。『動いている』その事実だけで満足だった。
 流石に『何もしない』を選ぶ事は出来ず、かといって『何かをしてしまう』とまた取り返しがつかなくなる。

 けれどそんな考えが間違いだったのだ。
 今迄人との付き合いは浅いものであり、立場柄秀でた人間と多く会うマリアにとって、自分以外の人間はいつも優れた者ばかり。

 けれどこの旅を通じて痛感した。
 何でも出来て明るく優しいリシェイ。同い年でありながら立派な騎士であるクラッド。力もあって物知りで、いつでも余裕を崩さないシュラ。皆が完璧のように見えた。皆は凄いから、自分が劣るのは当然のことなのだと思っていた。

「わたくしに足りないのは…自ら経験する事」

 皆それぞれ心の奥には複雑な思いを抱えていた。何度も傷つき、悲しみを受けてきたのだ。それでも皆はそれに押し潰されずに前を見据えている。
「わたくしは…皆が傷ついたり苦しんでいる時にも、ただおろおろするばかりで心を軽くしてあげられる言葉一つ思いつかない…。どうして上手く言葉が出ないのかと考えていましたが、当然でした。だってわたくしは言葉そのものを知らないのですから…」
 いつも足元の小石一つでも危険だと言って拾ってもらっていたようなものだ。だから自分は上手な転び方も、転んだ後どうすればいいのかも分からない。

 痛みは常にあるべきものではない。けれど決してなくて良いものでもないのだ。
 悲しみや苦しみ、痛みを知るからこそ大きな傷にも備えられる。そしてそれらを知るからこそ、人の抱える痛みが分かる。ただ穏やかなだけが本当の優しさではない。

 マリアは軽く周囲を見つめた。
 寂れた町並み、遮るものがなくて吹き荒ぶ風。何もなければ、マリアはこのような場所を訪れる事もなかっただろうと思う。
「巻き込まれて経験するのではなく、自ら望んで経験したいのです。だから…わたくしはこの旅を続けたい。そして自分の足で前に進むために、わたくしからシュラ様をお誘いしました」
 「一緒に来てくださってありがとうございます」と言って、マリアは改めて頭を下げた。泣かれたり詰られる可能性を想定して拒まれるかとも思ったけれど、シュラはあっさりと「別に構わない」と承諾してくれた。流石に自らの経験といっても、嫌がる相手を無理に連れ出す事は出来ないから。

「可愛い女の子からのデートの誘いなら断るわけにはいかないだろ?」
 シュラは飄々と笑いながら告げた。
「でもまあ二人きりとは思い切ったね。俺はまた君に酷い事をいうかもしれないのに」
「そうかもしれないとも思いました」
「リシェイについて来てもらえば良かったのに」
「それでは駄目なのです。リシェイは優しすぎるから、全ての痛みからわたくしを守って下さろうとします…。そしてわたくしはまたリシェイに頼ってしまう」
 自分の言葉で話したかった。その結果泣いてしまっても、怒りが湧いても構わないという心意気で彼を誘ったのだ。最初から最後まで、一人で彼と向き合ってみたかったから。

 リシェイと初めて出会った時、彼女のことを明るく楽しくて、頼りがいのある人だと思った。クラッドと初めて出会った時、怖そうで、乱暴な雰囲気だと思った。その認識は決して全部が間違ってはいないだろう。

 でも、それだけだった。

 リシェイだって悩み、苦しむ。何でも出来るように見えるのは、それだけ彼女が自分に出来ることを増やし、こなそうとした努力の賜物であるし、表沙汰に涙は見せなくても、泣き出しそうなほどに不安になる事がある。
 クラッドはきちんと正面から向き合えば、とても優しい人だった。言葉や態度は厳しく冷たいけれど、彼は誰よりも人に気を配れる責任感の強い人。向き合わなければ、きっとそんな事は微塵も知らぬままだっただろう。
「わたくしは本当に人の上辺しか見ていないのです。上辺だけで全てを判断して、思い込みで相手を遠ざけていた気がします。怖いから話さない、笑っているから大丈夫。…シュラ様は、笑って人を傷つける方なのだと…」
「否定はしないよ。事実、結果としてそうだったしね」
「ならば、何故わたくし達を守ってくださったのですか?」

 マリアの言葉にシュラは少しだけ目を丸くした。
「ミーナとシュラ様が戦う前…シュラ様は守護方陣でわたくしを守ってくださいました。そしてこうも仰いました『リシェイとクラッドなら苦戦はしても負けることはないだろうから』と…」
 あのような恐ろしい怪物を前に、シュラは二人を見捨てて先へ進んできた。しかしシュラは二人が死ぬかもしれぬ危機ではないと、相手の力量を量った上で戦線を離脱したのだろう。ミーナの方が確実に強いという事も、ミーナから言われずとも彼の口ぶりから察するに理解していたのだ。
「シュラ様は…クラッドとリシェイのことを、あえて危険の少ない方へ遠ざけたのではないですか?」
「俺がそんな殊勝な人間に見える?」
「見えますわ」
 きっぱりと言い放つマリアにシュラは苦笑いを浮かべる。大方呆れられているのだろう。
 自分は無知で世間知らずなお嬢様。それは否定できない事実だ。そしてすぐに変わることなど出来ない。
 マリアという人物は出自はどうあれ、17年間生きて積み重ねたものが今の姿なのだ。カルロン家領主の娘以外の立場になればすぐに変わるものではない。

―――何があっても、お前はお前だろ?
―――他人の言葉に振り回されるな。お前は自分の意思で信じたものがあるんだろ?どうしてそれを簡単に撤回するんだよ。
―――お前の気持ちや考えって、世の中の最下層に位置してんのか?…違うだろ?

(ありがとう、クラッド)
 マリアは慰めてくれたクラッドの言葉を思い出して心を落ち着かせた。
 信じた結果裏切られるのと、信じることを諦めるのは違う。確かにシュラのした事は酷い事だったのかもしれない。けれど今尚、思えるのだ。

「リシェイ、クラッド、そしてシュラ様…。わたくしは皆と出会えた事に感謝しているのです。それは何があっても変わりません。シュラ様がわたくしを裏切ったとしても、きっと変わりません」
「どうしてそう思う?」
「人とぶつかると辛い思いも沢山するけれど…ぶつかって向き合った方が、きっと幸せになれると思えるからです。今わたくしは家族を危機に晒されたままで、ミーナも失い…正直に言うと最低な気分です。それでもわたくしはまだ立っていられる。そして大切な事がいくつも見えた…そんな気がするのです。だから今、後悔はありません」

 川の流れる音が耳に届く。さらさらと流れる美しい音。
 恐ろしいものも醜いものも目の当たりにした。しかし世界はそれだけではない。優しさや美しさも確かに存在しているのだ。

「シュラ様、お願いがあります」
 意を決したように見上げるマリアに、シュラは小首を傾げた。
「わたくしと、お友達になって下さい。今度こそ、本当の」
「………正気?」
「まあ。わたくしは、そんな冗談は言いませんわ。…わたくし、こんな状況でも思うのです。皆に出会えて本当に良かったと…。だから…」

 マリアは握手を求める手を差し出した。
 即座に握り返す事も出来ず、ただ突っ立っているシュラに、マリアはそれでも手を下ろさなかった。それが決意の表れだったから。
 そんなマリアにシュラは観念したように軽く息を吐き出してマリアの手を握り返す。心底嬉しそうに笑うマリアを見て、シュラは半ば呆れたように―――けれど少し優しく笑って見せた。
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