NOVEL  >>  W:CROSS  >>  6章:裏切りの国アーミス
【6章:10話】
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 少し席をはずしていたヤクモは手に二つのカップを持って帰ってきた。ほんのり湯気立つカップの一つをリシェイに笑顔で差し出す。

「はい、どうぞ。本当はもっと良いご馳走をしたいけど、残念ながら今日はあまり長居は出来ないし。お礼にもならないかもしれないけど…」
「えっ?そ、そんな気を遣わなくても!」
 元々成り行きだし、結局は自分の用事を済ませたのだ。お礼をしてもらうようなことはないと思って勢いよく頭を横に振るとヤクモは再び微笑む。
「まあ、そう言わずに。もう買っちゃったのに拒否されたら困るな」
 お礼にヤクモは店で温かい紅茶を買ってきてくれたらしい。確かに飲食物の類は返品も出来ないので、このままではヤクモが二杯を飲み干さなければならないし、彼の手が塞がったままになってしまう。
 リシェイは好意に甘えてカップを受け取った。
「それじゃあ、いただきます。ありがとうございます、ヤクモさん……ん?」

 ふと彼の手元に目線をやると、火傷の痕が見えた。袖の長い服だけれど、少しだけ覗く痕にリシェイは目を瞬く。
「ヤクモさん、手を火傷して…!」
「ん?ああ、これ?別に大丈夫だよ。もう古傷だから痛みは全然ないし」
「そうなんですか…?」
 ヤクモは本当になんでもないと言った顔でおどけるような仕草を見せる。どうやら火傷は手の一部ではなく、体のあちこちにあるらしい。見せて楽しいものでもないから露出は避けているとヤクモは告げた。
 しかしそれだけの傷を負ったことは事実だと思うと、リシェイの胸が痛んだ。

「でも、大事にしてくださいね」
「優しいんだね、キミは」
「だって私も昔火事に遭った事があるんです。その時に大事な家族を亡くして…。私は外出していたから一命を取り止めたけど…」
 だから同じく火に焼かれた彼を思うと他人事とは思えない。本当に沈痛な面持ちで顔を伏せるリシェイを見てヤクモはそっとリシェイの肩に手を置いた。
「ありがとう、でもキミが心を痛めることはない。見ての通り僕は元気だし…」
「そ、そうですね、私が真っ先に沈んじゃ困りますよね。ごめんなさい」
「いや、嬉しかったよ。さ、それより紅茶も冷めちゃうし、どうぞ」

 紅茶からハーブのような香りが鼻に抜けていく。ゆっくりと口をつけて飲むと、微かな渋みの中に変わった甘い味わいが広がる。王都やマリアの家で飲む紅茶とは違う味にリシェイは感心しながら飲み干していった。
 カップが空になると、リシェイは一息ついた。

「ごちそうさまです!変わった味だけど美味しかったです」
「そう?良かった。本当にゴメンね、つき合わせておいてこんなお礼で」
「全然!むしろ楽しかったです」
 こういう思いがけない旅の出会いは良いものだなと改めて思う。勿論今は安穏としていられる状況でもない。どこでミーナ達が新たな動きを見せるか分からないし、自分の契約だって期限が迫っているかもしれない。
 しかしこういう時だからこそ、こうしたひと時が心の慰めになる。

 話していると、太陽の位置が大分低くなってきた。まだ夕暮れではないけれど、ラメント大陸は秋季から冬季の日没が早い。あまりのんびりとしていると直ぐに暗くなってしまうだろう。

「ヤクモさんはこれからどうするんですか?」
「僕はもう一件用事があるから。インクの主から手紙を渡してきてくれって頼まれてるから行くつもりだよ。本当に人遣い荒いよね」
「あはは、でも引き受けるんですね。ヤクモさん良い人だなあ」
「彼は一緒につるんでる間の中でも僕に良く構ってくれるし、彼こそ本当の『良い人』だから。彼のお願いなら聞いてあげなきゃなって気になってね」
 だから名残惜しいけどここでお別れだと言うヤクモにリシェイは再び頭を下げた。

 静かな空気の中、ヤクモの互いに色の違う双眸がリシェイを捕える。

 真っ直ぐに見つめられて、リシェイは思わず息を呑んでその目を見つめ返した。
 しかし何故か彼の眼はこの身を縛って動かせない。瞳に見入る、という表現も違う。どちらかと言えば蛇に睨まれた蛙のようにすら思える。

(何だろう、この感じ…)

 背筋がひやりとする。それに何故か頭がぼうっとしてきた。少し気を緩めると意識を手放してしまいそうだ。
 しかしこんな事を考えていてはヤクモに失礼だと思ってリシェイは慌てて頭を振った。彼はこんなに良い人なのに。これではまるで彼が悪者のようだ。

 ヤクモはリシェイの挙動不審を全く意に介さないように微笑んでみせる。
「キミとは縁を感じるよ。僕も元アーミス領を巡っているから、また会えるかもしれないね」
 ヤクモはそう言うけれど、アーミスはそれほど小規模な国ではなかった。だからまた偶然に会えたら本当に凄いなと思いながら「そうですね」と答える。

 ヤクモは「それじゃあ、また」と言ってその場を立ち去っていった。
 「さよなら」と言わなかったのは、また会えるかもしれない可能性を本当に信じてくれているからなのだろうか。

「不思議な人だなあ…。何処かで会ったような気がするんだけど…」

 でもヤクモの容姿はかなり特徴的だ。いくら人に会う機会が多い職業とはいえ、流石に彼のような人を忘れるとは思い難い。
 それならばこれは本当に縁なのかもしれないとリシェイは感じた。

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 ―――一方、その頃。

 宿からほどない川沿いをシュラとマリアは並んで歩いていた。落ち葉が増え始めた道を踏みしめながら歩く二人は―――ある人は恋人同士かと思うだろうし、ある人は深刻な訳有の連れと思うだろう。周囲は同じく道を歩くカップルが何組か目に付くが、二人に漂う雰囲気は決して甘いものではない。

 旅の中で二人は大分打ち解けたものの、互いにあまり率先して話題を振る性質ではない。しかも先日はミーナの一件があったから尚更話題を振り辛い。

 散歩を始めてから暫くは本当に他愛もない話ばかりだ。天気がどうだとか、今日の宿の事など、本来の主題よりは程遠い。しかも会話の足がかりにもならない程に話はブツ切れ状態。シュラはそれらの話題を特に遮るでもなく相槌を打ってくれた。恐らくマリアが話を振るタイミングを削がないようにしているのだろう。

 かれこれ30分以上この状態が続いている。
 このままでは話をする前に歩き疲れるのがオチだと思ったマリアは意を決して口を開いた。
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