NOVEL  >>  W:CROSS  >>  5章:嘘と真実の天秤
【5章:6話】
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「クラッド、後ろ!」
「チイッ!!」
 四方八方から襲い掛かる巨大蛸のような魔物の猛追をリシェイとクラッドは懸命にかわしながら攻撃する。足の数が多いので死角を突いてこられる上に、体の柔軟性が高いので、並の斬撃では下手をすると武器を絡め取られてしまう。
「はっ!」
 魔物の足同士を上手く伝いながらリシェイは飛び上がると、本体の目に刃を付きたてた。咆哮をあげて悶える魔物は力任せにリシェイを叩き落し、地面に落下する寸前にクラッドが咄嗟に下に入って受け止める。
「おい、大丈夫か!?」
「うん、ありがとクラッド!」

 体勢を立て直すと縦横無尽に乱れる足を避けながら、二人は次の機会を窺がって本体に焦点を合わせる。リシェイはちらりと二階のドアを見やると眉根を寄せた。
「シュラ…一体何を知ってるの…?何を隠してるの…!?」

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「わ…わたくしが陛下と…その召使の子ども…!?馬鹿なことを仰らないで下さい!」
 マリアはしゃがみこんだまま、震えながらミーナに叫んだ。

 自分が両親の子どもではないなんて嘘。雲の上の存在である陛下の娘だなんて嘘だ。自分はカルロス地方領主カルロン家の娘として生まれ育ってきたのだから。必死に言い返す様を見てミーナはため息を吐いた。
「ま、別にアンタが信じようが信じまいが、事実はかわりゃしないからどうでも良いんだけど?実証されても拒否するより、受け入れちゃえば良いのに」
 ミーナは冷笑を浮かべながらマリアの下へ歩み寄り、見下して鼻で笑う。人の表情はこうも変わるものなのかと思うと、背筋にひやりとしたものが走った。
「后達に囲まれながらも満たされる事のなかったリドゥ王は、美しいと城内で評判だった侍女に興味を持った。その侍女も王が自身に興味があると知るや否や、王を誘惑するように呼び出しては逢瀬を重ねたの」
「…やめて…」
「浅はかで好色な王は侍女と密会を繰り返した。しかしそれが王の側近に露見し、王には侍女を思うなら后達の耳に入る前に逢瀬を止めて普通の女として幸せに暮らせる道を与えるべきと。侍女には王を愛するのなら身分の違いを弁え、潔く姿を消すべしと。侍女が引かぬと言うなら強行的な手段も辞さないと、内密に全てを闇に葬ろうとした…」
「やめて下さい…!」
「侍女を城から追い出して安心したのもつかの間、女は子どもを身篭っていたの。…そう、逢瀬を繰り返してた誰かさんのね。側近は消すべきと言ったけれど、曲がりなりにも我が子なら、そんな処置は避けたいと―――」
「やめて下さい!」

 マリアは震えが止まらなかった。そんな馬鹿な話があるわけない。自分はカルロン家の両親の元に生まれ、マリア=グレース=カルロンとして生きてきたのだ。それに赤子の頃の写真だって屋敷に残されているのだから、そんな話が現実である訳はない。
 何度も「違う」と言って頭を振るマリアに、ミーナは鼻で笑った。
「あらあらあら?誇ればいいじゃない?王族の子なのよー?それに王サマはアンタが気になって必ず毎年会ってるくらいお気に入りなんだし。それにね、カルロン夫妻はアンタを育てる見返りとして、カルロン家の絶対的な地位を約束し、破格な養育費まで貰っているのよ」
 何もかもが嘘だとしか思えなかった。けれどマリアは最早声にもならず、膝を突いたまま呆然と虚空を見つめるしか出来なかった。くすり、と笑うミーナはマリアの絶望を楽観して笑う。その笑みは喜びに満ちているようにも見える。

「王族にしか開けられない場所は多くあるわ。折角襲撃の混乱に乗じてアンタを連れて行く算段だったのに、あの小娘の所為で狂わされたわ。ヘラヘラして無害だろうと思っていたらとんだ害虫だったようね」
「リシェイを…悪く言わないで下さい!…何故ですか、ミーナ…!貴方はいつもあんなに優しかったのに…!」
 両親が仕事で外出して寂しい夜は、眠るまで傍に居てくれた。色々な地方の話をしてくれたり、悩んだ時には相談に乗ってくれたり。心から彼女を慕っていたのだ。ミーナを疑ったことなど、ただの一度だってなかった。
「はあ?仕事だと思えば本心なんかどうとでもなるわよ。アンタと話すのもイライラしたけど、あの方のためを思えば、こんなチッポケなガキの相手なんてお安い御用ってこと」
 ミーナはマリアの喉下にレイピアを突きつけて笑った。今迄見せてくれた微笑ではなく、見下し、勝ち誇ったように。
「王家縁の地には結界の方陣や、ここのように過去の遺産が眠ってる。アンタを鍵として利用する価値はまだあるわ。さっさと黙らせてやりたいけど、亡骸になると鍵の役目になるか怪しいから博打はできないかあ」

 マリアはぎゅっと拳を作ると、装備していたクラッドのナイフを抜いた。息を切らせながら、力強くナイフを握ると、青い瞳に涙を浮かべながらミーナを睨み返した。怖いのか、怒りで震えているのか自分でも分からない。ただ、苦しかった。
 ミーナは思わぬ反抗に少し驚くも、直ぐに平常心に戻る。
「へ〜、あのお嬢様が一丁前に反抗?外に放り出されてちょっとは成長したのかしら?…ま、ナイフ一本で気張ってる時点で馬鹿だけど、アンタの場合はどんな兵器を持っても宝の持ち腐れよね」
「…カルロスを元に戻して!」
 この人物の所為でカルロス地方にはモンスターが溢れ、カルロンの街は崩壊してしまった。カルロス地方一帯を守る結界方陣はカルロン家が管理しており、他者は在り処を知らないはず。いや、在り処を知ったとしても一般人にどうにか出来る代物でもないのだ。方陣の術式は難解であり、それを知っているのはカルロス領主である両親と、次期領主であるマリアだけ。
 方陣を壊すには術式に沿ったエネルギーの同調と魔力が必要だ。ミーナは恐らく数年前には結界を見つけ出し、自力で解読したのだろう。そして先程の召喚を見れば、彼女が高い魔力を備えていることくらい素人のマリアでも分かる。
「元に…ってねえ、魔水晶漬けになるなんて予想するわけないじゃないの。知らないわよ、あんな結果。それに私には結界を壊す事は出来ても組み直す事は出来ないしね。…ここでの目的も達したし、いつまでもアンタと遊んでる場合じゃないの。私は忙しいのよ」

「じゃあ手短に済ませようか」

 突如聞こえた声に二人は振り返る。
 開け放しの扉には、亜麻色の髪に翡翠の瞳の男―――シュラが立っていた。
 シュラは腰の二刀の剣を静かに構えた。

「シュラ様…!」
 マリアが声をかけるも、シュラはマリアの方を見向きもしなかった。薄闇に巨大な魔水晶が青く照らす空間に漂う空気はこの上なく重苦しい。静まり返ると、奥の方から地響きが微かに聞こえる。まだミーナが召喚した魔物が襲い掛かっているのだ。魔物が敗北したわけではなく、一人でやってきたシュラを見てミーナはクスクスと笑う。
「うわぁ、一人で逃げてきたの?薄情な男ね」
「アンタには言われたくないな」
 余裕の表情で返答するシュラにミーナは「それもそうかもね」と言って再び笑う。
 シュラの様子もいつもと違うとマリアは感じた。飄々として常に余裕を含んだ顔をする彼が、今はピンと張り詰めた糸のようだ。翡翠の瞳はミーナを睨みすえている。
「リシェイとクラッドならあの程度の敵は多少てこずっても勝てるさ。それにリシェイには契約の力もある。彼女を侮らない方が良い」
 あの程度、という己の召喚魔獣を軽視された事に苛立ったのか、ミーナの表情が少しだけ引きつる。他人を揶揄するような物言いの二人の相性は最悪と言って良いだろう。ミーナは先程までの嘲笑するような表情を消してシュラを睨みつける。

「…で?これで追い詰めたつもり?悪いけど召喚はね、レベルに不相応な魔物は召喚できないのよ?安全牌に逃げたつもりだったのに残念ね。力任せに殺してもらえない分、もっと酷い目に遭っちゃうのよ、アナタは」
 ミーナの周囲に青い光と水泡が浮かび上がる。瞬時に具現化出来る程のエネルギーを練り上げられる彼女は、自負する通り相当実力のある呪術師なのだろう。
 シュラはその光景にも全く動じることなくミーナを見据えていた。
「アンタはただの愉快犯じゃない。背後に何かがいる。カルロス地方の結界を破壊したのも、巨大なエネルギー蓄積量を誇る魔水晶を欲しがるのも、裏で何かを企てているんだろ?」
「…で?もしそうだとして、お前に何の関係があるのよ?成り行きの部外者に教えてやる義理は無いわ」
 どちらにしてもここまで知ったら消えてもらう以外ないけれど、と言ってミーナは嘲笑を浮かべる。
 シュラは構えを解いて剣を下ろすと軽く目を伏せた。

 今まで何度も繰り返し思い出してきた過去。しかしそれを人前で口にすることは決してなかった。関係ない人物を巻き込みたくないという殊勝な思いではない。忌々しい時間を口にすることで明確に思い出すのが嫌だっただけ。
 しかし今、その悪夢が終わるのならば口にすることは躊躇わない。

「……今はリドゥ国。嘗ては…アーミス国」

 ポツリとシュラは呟く。不可解な彼の言葉にミーナは眉根を寄せた。
「とある地方には古来から恵を守る存在として天地創造の頃から神の加護を受けた大樹が根付いている。そしてその樹による恵を絶やさぬ為に、尤も恵を受けている村は巫女を差し出す慣習があるという」
 シュラが何を語っているのか分からないマリアは地面に手をついてしゃがみこんだまま目を丸くしていた。
 明らかに普段のシュラと様子が違う。元々シュラは謎めいた雰囲気の男性だったけれど、冷静であるのに、その奥には鬼気迫るような気迫を漂わせた彼の表情は初めて見た。見知った相手であり、ミーナのように裏切っている訳ではないはずなのに、何故か恐怖にも似た感情が込み上げる。
「シュラ様…?」
 彼は相変わらずマリアの方を見ない。会話をしている訳でもないのに、こちらまで息苦しくなる彼の無言のプレッシャーに押しつぶされそうだ。

「巫女は神木樹に認められると俗世の人間が持たぬ力を得るようになる。巫女は神木の為に生き続ける。神木に万が一の事態が起これば手足となり、人には聞こえぬ神木の声を伝える為に」
 シュラは胸元を握り締めた。
「巫女は……お前が…お前達が欲しがる力を持っている」
ドクン、ドクンと脈動が耳に届くかのようだ。緊張しているわけではない。反応しているのだ。長年追い続けたものが、この手に届こうとしている瞬間を感じて。

「ブルーティアの悪魔―――ティリアレイ=ファルメス。どこに居る?」
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