NOVEL  >>  W:CROSS  >>  4章:あなたに幸せを
【4章:11話】
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 23時を過ぎると家や店の電気は小さなランプのみの明るさまで落とし、星が一層美しく見える。町で一番大きな【ルーセン公園】には町人や観光客が多く集まっていた。

「……出来ました!願い事、書けましたわ」
 広場の一角で流星を待つ一行は、プレートに願い事を認めていた。プレートは店員の言うとおり、指でゆっくりとなぞると文字が浮かび上がった。恐らく指先に集中した極々微弱なエネルギーに反応して痕跡を残す仕掛けなのだろう。魔水晶を利用した製品ならば可能だ。
「オレも」
 クラッドもすいすいと願い事を書いて、ポケットに片方の手を突っ込んで空を見上げる。まだ願い事を書いていないリシェイは二人を見やった。
「ねえ、何書いたの?」
「ん?ホラよ」
 クラッドは全く包み隠す様子もなくプレートを見せてくれて、リシェイとマリアは覗き込んだ。クラッドのような淡白なタイプが一体何を願うのか興味はあったし、マリアは何故か異様に興味津々だ。しかしそこに書かれていたのは、いたってシンプルなものだった。
「……健康第一…」
 …とても分かりやすい。しかしあまりにも漠然としている上に、こういうイベントで書くものなのだろうか。何よりもこれは願い事なのだろうか?
 そう告げると、クラッドはふてくされた様に頭を掻いた。
「いーんだよ、オレはこれで」
「でもさあ、どうせなら騎士団団長!とかこの際書いちゃえば良いのに。夢はおっきく」
「そんなモンここで書くとか、ガキじゃあるまいし出来るか!それに何をやるにしても体が資本なんだから、オレにとっちゃ一番妥当なんだよ」
「まあ確かに…」

 マリアはどうなのだろうかと尋ねると、やはりカルロス地方の早期復興を願ったようだ。一日も早く街に平和が戻り、皆が元通りの生活が出来る事を願って止まない。「願うだけではなく、自ら頑張ります」と告げるマリアは以前よりずっと良い顔をしている。
「出来ればもう一つお願いしたかったのですが、あまり欲張っては…」
 ボソボソと告げるマリアの言葉が聞き取れず、リシェイとクラッドは聞き返したが、マリアは真っ赤になって頭を横に振った。
「な、何でもありません!」
 聞き返して話すも、尚もモゴモゴと口篭っているので聞こえない。クラッドが「一体何なんだ」と尋ねるが、マリアは大きな声で「何でもありません」と必死に頭を振るのだった。

「ねえ、ところでシュラは?さっきから見かけないけど…」
 リシェイは先ほどから気になっている相手の姿を探して周囲を見渡した。
「さあな?アイツのことだから、その辺ほっつき歩いてんだろ」
 宿から出て、ここまで来る時は一緒だった。しかし到着して願い事を考え始めると、シュラは少し散歩してくると言っていなくなってしまった。離れてから既に30分。24時も迫っているのに、どこをうろついているのだろうか?

―――俺の望みは……何も望まないこと。

 ふいにリシェイの脳裏にシュラの言葉が過ぎった。

 望みというのは、平たく言えば欲だ。欲といえば聞こえは悪いかもしれないけれど、欲は人にとっての動機付けとなるし、生きる上で重要なものだ。それすら要らぬというシュラは、何を糧に生きていくのだろう?
 リシェイはまだ何も書いていないプレートを握り締めた。
「私、探してくるね!」
 リシェイは言い残すと人でごった返している広場を人垣を掻い潜ってシュラの姿を探した。

 シュラは確かによく分からない人だ。掴みどころはないし、態度だって二転三転する。
 けれど彼と接してきて、少しずつ分かった気がする。彼が真っ直ぐに告げる言葉には嘘が無いということだ。だから自分を褒めてくれた事も、ありがとうと告げてくれた事も、これ以上近づくなと突っぱねた事も全部本音。
 天邪鬼のように振舞う彼の根源は知らない。しかしシュラの言うこと成す事は決して支離滅裂ではなく、彼の中の真実に全て繋がっているのだ。だからシュラの言動を『分からない』と言って取捨選択してしまえば、彼を本当の意味で理解など出来ないだろう。

 リシェイは何度も人にぶつかる事を謝りながらシュラを探した。
 彼には思いや経緯は違えども、「契約を解く」という目標がある。そして契約主ティリアレイ=ファルメスという人物が自分に直接働きかけてくる以上、シュラはリシェイを有力な手がかりとして離れることはないだろう。
 姿をくらましても、いずれ戻ってくる。そんな事は分かっていた、けれど。

(今、会いたいよ)

 人垣をくぐった先の公園の片隅。
 芝生の斜面の上にシュラは一人で座っていた。

「みつけた。ね、隣に座っても良い?」
 リシェイはシュラの返事を待たず、隣に腰を下ろす。ちらりと彼の手元に視線をやると、芝生の上には無地のプレートが置かれていた。いや、記す気もなく放置していると言った方が正しいだろう。
(…やっぱり、書こうとも思わないんだね)
 願う事など無い。契約を解くという事も彼にとっては願いではなく、達成すべき現実であり、何かに託す事ではない。

 リシェイは膝を抱えて空を見上げた。
「願い事を書かないの?もうすぐ星が流れる時間だよ?」
「俺は良いよ。リシェイこそ皆と楽しんできたら?」
「それって、あっちに行けってこと?」
「……そうとも、言うかな」
 否定されない事は想定内だ。昼間の思考回路が混乱した状態でこの言葉を聞けば、また苛立ちにも似た悲哀が込み上げていたのだろうが、今はもう冷静だ。だから彼の突き放す言葉にも動じることなくリシェイはただ横に座っていた。
「でもここにいるから」

 先日までのような動揺を見せずに座るリシェイに揺さぶりは効かないだろうとシュラは思った。こんな人目に付くところで揉め事を起こせば注目の的になる。シュラはそれ以上何も言わずに体勢を崩して楽な格好でため息をついた。
「リシェイこそ願い事書いてないじゃないか。時間ないんだろ?」
 彼女の手元には自分と同じく無地のプレートが握り締められている。リシェイのような子ならば、喜んで記すだろうに。
 言われてリシェイは自分のプレートを見つめた。
「……ちょっと決められなくて。だからギリギリまで悩む事にしたの」
「欲張りだな、リシェイは」
 シュラはふっと笑うと自分のプレートをリシェイに差し出した。彼の行動の意味が分からず首をかしげていると、シュラはリシェイに押し付けるようにプレートを渡す。
「それじゃあ俺の願い事枠あげる。これで二つ分だ」
「一人で二つの願い事なんか、余計に叶わなくなっちゃうよ」
「それじゃあ、一つは俺の願い事ってコトにしておいて。どうかリシェイの願い事が叶いますよーに・ってね」
 それで万事解決だと言われるも、リシェイは釈然としなかった。
 そういう問題ではないのに。願いは、本気で自ら祈らなければ意味がない。成就するか否かより、心から願う事こそが大事なのではないだろうか?

 折角の楽しいイベントなのに、すっかり意気消沈してしまった。リシェイは手元に残された二枚のプレートを見やる。
「そうだ!思いついた、願い事っ!シュラ、これ貰うね!」
 一瞬落ち込んだかと思えばあっという間に浮上して、リシェイは先ず自分のプレートに願い事を書く。それを一旦傍らに置くと、リシェイはシュラの手をぐいと引っ張り、指を差し出させた。
「おい、リシェイ、何す…」
 言い終わる前に、リシェイはシュラの指を借りて文字を書いていた。小さなプレートに浮かび上がる文字は、彼女の願いではなかった。決して自分では書かなかった文字が、自分の指先から浮かび上がる。

―――幸せになれますように―――

 透明なプレートにはそう浮かび上がっていた。

「…リシェ…」

 ワッと周囲から歓声が上がる。
 空には一つ、二つと星が流れ始め、それは数を増していく。輝く星は空を泳ぐように幾度も幾度も流れ続けた。まさに星が降るとはこのような光景を指すのではないだろうか?先程まで揉め続けていたシュラとリシェイも言葉を飲み込んで空を見上げた。
「うわぁ…綺麗だね!」
 チカチカと手元が光る。しかしそれは自分達だけではないようだ。皆が手に持っている、願い事を記したプレートが淡く輝き、砂のように崩れると、光を帯びたまま空に上っていく。マリアが店員から聞いたプレートの仕掛けとはこの事なのだろう。
 空から星が落ち、地上から星が昇っていくような光景で、夢の中にいるようだった。
 リシェイとシュラのプレートも強く輝くと弾けるように粒状に崩れて天に昇っていく。

「…幸せになりたいとか、ある意味一番欲張りで贅沢だろ」
 何か一つを願うではなく、己を満たすもの全てを成就させるという、良い所を総取りしたような願いは反則だ。いっそ金持ちになりたいとでも書いた方が分かりやすいだろう。しかしリシェイは晴れやかに微笑んだ。
「良いの、これで」

 幾万もの輝きが町を埋め尽くす。数多の願いを乗せて。

「良いんだよ、欲張りでも。だって叶ってほしいもん。率直な願いでしょ?」
 シュラはリシェイの横顔を見つめる。
 彼女はいつだって輝いていて、皆の心に光を灯す。心の垣根を越えて呼びかける声は決して煩わしいものではなく、きっと心地良いのだろう。彼女の周りに人が集まるのは、いつも一生懸命な彼女を放っておけないから。そして彼女の持つ輝きに惹かれる人が自然に彼女がいつも笑顔であることを祈ってしまうのかもしれない。それを惜しみなく振舞う彼女はさしずめ太陽だろうか?

「…少し違う、かな」
 シュラは考えながらポツリと呟いた。燦々と光を照らすだけの太陽は眩すぎて、時に苦しいし、その姿を直視する事は出来ない。
 リシェイはどんな色もあっという間に自分の色に染める子。全てを輝かせ、人の心を癒すような―――

「夕日…」
 シュラの心に黄金の空と大地が浮かぶ。
 一面を茜に変える夕陽。心を穏やかにするオレンジ色の光は正にリシェイのようだ。そういえば彼女とまともに言葉を交わしたのも夕暮れだった。薄い赤茶の髪は陽の光を浴びたようで、彼女が笑うと思わず強張っていたものがゆるりと解けてしまう。

 夕暮れはシュラが一番好きな時間だ。町も人も空も海も、全てを一色に染めあげて輝く幻想的な刹那。
「…嫌いになんて、なれない筈だ」
 シュラは観念したようにため息をついた。思案顔のシュラが突然何かを悟ったような態度になった事に疑問符を浮かべるリシェイは小首を傾げる。

「悪かったよ、無茶を吐き捨てた上に突っぱねて五月蝿いとか言って……って少しだけ思ってる」
「少しだけ〜!?」
 少しじゃないよ、結構酷い事言ったよ・とリシェイは怒るものの、その表情は笑顔だった。もう良いのだと笑うリシェイを見ていると、不思議と心の波が凪いだ。こんな捻くれた態度を散々突きつければ、どんな相手も嫌気がさして離れていく筈なのに、リシェイは怒ったり笑ったり、表情をクルクルと変えながらいつだって傍にいる。
 こんな自分と共に居たって損しかしないのに。契約を解く鍵をリシェイより深く知っているということが彼女にとっての最大にして唯一の利点だろう。

「けど、変わらない。俺の言った事は嘘じゃない」
「どういうこと?」
「…俺はあんたに幸せなんかもたらしてやれない。…俺は、人に与えられる優しさなんか、知らない。だから俺に無理に付き合うより、クラッドやマリアちゃんと仲良くした方がよっぽど…」
 それは彼女を突き放すための言葉ではない。これが真実なのだ。
 しかしリシェイは大きく頭を横に振ってシュラの言葉を遮った。
「優しさだって言いながら振りまくのは本当の優しさだと思えないよ。だって私は今迄シュラの優しさを何回も貰ったもん。例えシュラは知らなくても、私の口から上手く説明できなくても…ちゃんと知ってるから。…覚えてるから、ずっと」
 リシェイは少し照れ含みに頬を掻く。
「クラッドやマリアと一緒にいるのも凄く楽しいよ?でも今は…その、何て言うか……シュラと一緒に居たいなあと思った時には、もう探しに出てたんだ。あはは……へ、変かなぁ?」
 周囲は流れる星々に湧き上がって五月蝿いほどの声が聞こえていた筈なのに、シュラにはとても静かに感じた。

 聞こえる声は唯一つだけで、見える人は唯一人だけで―――

 リシェイは大きな手に引き寄せられる。不意打ちの所為で軽く体勢を崩すと、額にシュラの唇が触れた。そのまま頭を抱えるように胸に抱き寄せられるとリシェイは赤面した。
「シュ、シュラ…!?」
 リシェイが狼狽するも、彼からの返答は何もない。

 シュラはリシェイを抱き寄せたまま空を見上げた。
 雪と同じように白く降るもの。それは冷たさを感じさせないが、雪と同じく消えてしまう。皆は遠くに流れていく星に願いを乗せて祈るのだろうか?遥か彼方に届くと信じて。
 しかしシュラにはそう思えなかった。流れる星は願いを吸い取って消え去るひと時の夢のように感じた。

(もし、これがひと時の夢なら)

 この胸には永劫消えない罪の痕がある。そして今、この腕の中には只管に人を救おうとする希望のしるしがある。同じ形の痕を持ちながら、これらは決して相容れることのないものだ。

「リシェイ、俺は矛盾だらけだ。きっと傍から見ても、そうなんだと思う」
 何も願わぬ事こそが、己の願い。この少女の存在は、きっとその『願い』を打ち壊すだろうと予感した。
 そうであってはならないのだと分かっている。けれど。
「今日は…星が連れて行く。全てをひと時の夢にして、連れ去ってくれるから」
 シュラはもう一度だけリシェイを強く抱きしめた。

 そっと離されるとリシェイは顔を真っ赤にしてシュラを恐る恐る見つめた。「どうしたの?」と聞こうと思っていたけれど、瞬時に言葉は要らないと感じたからリシェイは小さくシュラを上目に見つめた。

 いつもは皮肉混じりの嘲笑や、楽観的にしか笑わないシュラの表情には、少しだけ硬さを残した―――けれど穏やかな笑みが浮かんでいた。
 それは本当に優しさを知らぬならば出来ない顔。シュラはもしかしたら、自分がそんな顔をしている事にすら気がついていないのかもしれない。

 鼓動が早鐘を打つ。数多の煌めく星よりも、目の前の唯一つの笑顔をずっと見ていたいと願う。
 明確な理由なんて分からない。この気持ちをどう表現したら良いのかも考え付かない。

 目の前の唯一人しか見えない想いの名を知った、星の降る夜―――

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