NOVEL  >>  W:CROSS  >>  1章:茜が宵闇に染まる時
【1章:2話】
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「リシェイ、こちらです〜!」

 カルロンの街の大通りの中をマリアは駆け足で数歩進むとリシェイに向かって満面の笑みで手を振った。流石に街の中は詳しいのか、足取りに迷いはない。

 街行く若い男性がちらちらと此方を見ているのはマリアの所為だろう。容姿も声も仕草も可憐な彼女は、領主の娘という点を除いても十分過ぎるほど魅力的だ。

「う〜ん、何だか後光が見えるよ、マリア…」
 リシェイは感心したように腕を組んで感嘆の息を漏らした。
 女の子らしく走って、此方を呼ぶ仕草まで可愛らしい。何だか彼女の周りだけ輝き、花が咲いて見えるようだった。まるで絵本の妖精さながらの愛らしさだ。
 しかしマリアはそれを鼻にかける事もなく、おっとりとした優しい性格なのでリシェイも気兼ねなく話せる友人だと思える。
 少々世間知らずな面が強く、引っ込み思案な節はあるが、本当に育ちの良いお嬢様と言える。周囲の男性がお近づきになりたい気持ちは女のリシェイにだって分かった。

 リシェイがマリアに追いつくと、マリアは嬉しそうにそわそわとした。
「今日はわたくしがリシェイをおもてなししますね。こういう事をお仕事では『接待』というのでしょう?」
「う、うう〜ん…まあ、そうなのかなぁ…?」

 街から出る機会が殆どないマリアに、リシェイはよく仕事であちらこちらを巡った時の事や、多種多様に請け負う任務にどういうものがあるのかを守秘義務に触れない程度の範囲で頻繁に話してやっていた。だからマリアも仕事に興味があるのだろう。
 こういう場合は接待とは少し違うような気もするけれど、この際細かい事はどうでも良いのだろうかとリシェイは小首を傾げる。

 マリアは「さあ、参りましょう」と言ってリシェイの背中をぐいぐいと押す。

 リシェイは何かにつけて行動的であるし、職業柄、マリアよりも見識はずっと広い。
 いつも頼ってばかりのマリアとしては、リシェイに頼られることが嬉しかったのだろう。その証拠に普段は大人しくて控えめなマリアのこのはしゃぎ振りをリシェイは初めて見た。

「マリアお嬢様!どうぞこっちも見ていって下さい!」
「お嬢様〜、美味しい新鮮なフルーツジュースは如何ですか?」
「マリアさま〜!こんにちはー!」
 大通りに並ぶ店の方々や街行く市民からマリアを呼ぶ声が聞こえる。マリアは笑顔で会釈しつつ声に応えた。まるでアイドルのようで凄いと苦笑しつつも、そうしてマリアが慕われているのはカルロス領主が民衆と上手くやっているという証でもあるだろう。

「うるっせぇんだよ!いいからとっとと慰謝料出せって言ってんだ!」

 今まで楽しげな音楽や人々の笑い声や歓声が上がっていた中に響き渡る怒号に周囲はざわめき始める。異様な雰囲気に、リシェイは人垣から覗き込むようにぴょんと飛び跳ねてみたけれど、小柄な彼女では様子を窺い知る事は出来ない。
「何だろ?ちょっと行って来る!」
「あっ、リシェイ!ま、待ってくださいっ…」
 リシェイは咄嗟に騒ぎの方向へと駆け出し、マリアはうろたえながらもリシェイの後を追った。

 綺麗に陳列されていたであろう商品やディスプレイは道のあちらこちらに散り、色艶がよくてさぞかし新鮮であった筈の果物や野菜は無残に地面の上で多数が潰れてしまっている。
 店の前には人相の悪い男が店主の胸倉を掴み挙げていた。しかも店の前には警備隊と思しき男が頬を腫らして白目を剥いているというおまけ付きだ。
「こんなクソ不味いモン売りつけやがって。これだけ不愉快な思いさせたんだから、誠意ってモンを見せろっつってんだよ!」
「そ、そんな…」
「それともこの鬱憤、店をぶっ壊して晴らさせてくれんのか?それともお前をボコボコにしてやろうか?」
「ひいいぃぃっ!!だ、誰か…!」

 店主はすがるような視線を周囲に向けるが、遠巻きに見ていた人も慌てて目を逸らすように散っていった。
 如何せん相手の男は巨漢でいかにも腕っ節自慢の類。しかも短気で気に食わない相手ならば直ぐに暴力え訴えるのであろうことは見るからに明らかだ。店主をかわいそうだとは思うけれど、怒りの矛先が此方に向いたのではたまらない。しかもそれなりに訓練を受けた警備隊が伸されているのでは、一般市民が適う筈もないだろう。

 リシェイに追いついたマリアは様子を見るなり真っ青な顔でおろおろと腰を引かせていた。
「け、警備隊の方が…。ほ、他にどなたか…!」

 男は店主を拘束したまま店のレジに手を突っ込むと、売り上げを鷲づかみにしてほくそ笑む。その光景に完全に堪忍袋の緒が切れたリシェイは店の方へと駆け出した。

「止めなさいってば!折角のお祭りを台無しにして、恥ずかしくないの!?」

 その一声に、周囲は「よく言った」と言わんばかりの眼差しで振り返るものの、声の主を確認すると再び青ざめた。
 なにせ人相の悪い巨漢に食って掛かったのは、リシェイ―――小柄な女の子だったのだから。マリアは既に卒倒しそうな程の顔色だ。

 案の定男はリシェイを今にも殴りそうな顔でにらみつけた。
「あぁ?何だてめえは」
「アンタこそ何よ!お店こんなにして、警備隊の人まで…。商品に問題があるならきちんと話し合えばいいでしょ!?それとも話せないって事は、最初から無意味な因縁つけてるんですって証拠で良いわけ?」
「うるっせえんだよ!何だ、それともテメェが…」
 言いながら男はリシェイをじろじろと見つめてくる。突然何かと思ったリシェイは警戒しつつ睨み返したが、男は鼻で笑った。
「はっ!何でえ、チチもケツも出てねえガキじゃねえか。これじゃあ侘びのカケラにもなりゃしねえぜ」
「んなっ…!何をーーー!?そりゃ大した事はなくてもちょっとはあるわー!」
 先ほどより怒りを増したリシェイから離れた場所でマリアは尚も青ざめながら「リシェイ、はしたないです」と呟く。つい挑発に乗ってしまった事に気が付いたリシェイは頭を振って、勢い良く相手を指差した。
「とにかく、今すぐ店主さんを離してお金を元に戻して謝りなさい!話はそれからだよ。じゃないと大恥かいて後悔することになるんだから!」
「うるせえ、生意気なガキが。女だからって殴られないと思うなよ!」

 店主が荒々しく地面に振り落とされると、男は指を鳴らしながらリシェイへとにじり寄った。

 典型的なパターンにリシェイはため息をつく。
 どうして力を直ぐに非力だと思う方へ向けてしまうのか、戦いを専門としている自分にとっては悲しくなってしまう。力は非力な者の為にこそ使うべきであろうにと思わずにいられない。

「リ…リシェイ…ッ!あ、ああ、誰か…!」
 もう駄目だ―――マリアが固く目を閉ざすと、男は拳を振りかぶった。

 しかしリシェイは男の出方を見て冷静に構える。
 相手はいわゆる力自慢なタイプで、大して強い相手と戦ってきた経験はないのだろう。その証拠に相手の間合いも計らず、どう見ても正拳が飛んでくるとしか思えない大きなモーション。確かに腕力の競り合いとなれば小柄なリシェイでは勝てないが、的確に急所を突けば、一撃で相手の筋肉の鎧だって崩せる。自分の不利を如何にして補うかは、所属組織デュロアルのファイター修行にて師に事細かく叩き込まれた。

 しかし、ふっと瞬時にリシェイに黒い影が差すと同時に強く腕を引っ張られる。

 応戦の気概十分だったリシェイは思わぬ事態に目を丸くすると、眼前には先ほどの大男ではなく、亜麻色の髪の男性が背を向けて立っていた。
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